The interview その1
JA1CCT 新井幸男さん

記念すべき第1回目は「歴史の裏面にこの人あり」、JA1CCT 新井幸男さんをご紹介しましょう。


新井さんは1937年、埼玉県のお生まれです。
インタービューの日、ミリタリージャケットをお召しになったお姿は、とても御年79歳とは思えないお若さです。
 

シャック風景

現在のシャック全景。コレクションは実はコレだけではありません。
 
【実は機械科をご専攻】
日光写真や鉱石ラジオから趣味の世界へ入られた新井さん。
レコードプレーヤーに自作のワイヤレス送信機(勿論合法です)を繋いで、ご近所の方に音楽を流して差し上げるなど、好奇心旺盛の少年だったそうです。
 
よくご両親の影響で・・・という方も多い中、ご家族様は電気工作には殆どご興味は無く、知識は全て独学で身につけられました。
学科も機械科を専攻。旋盤やフライスなど電気とは無縁の授業でしたが「かえって幅広い視野が持てた」と仰います。
就職も冷凍関係の技術職で、こちらも無線とは無縁の世界でした。
 
 
【いざ無線局を開局へ】

そしていきなり無線の世界へ。
昭和33年(1958年)9月、電監の検査官が2人が立会いして「合格」です。
現在のような保証申請制度など当然ありませんから、それは大変なものです。
免許書類

当時の免許申請書類一式。
 
当時の写真

そして当時の写真はこちら。
ねぇ、ハンサムですね!
左は自作のアンテナ(上が144MHz用。下が50MHz用)。
ハンドルをつけた手回しローテーターも自作されました。
 
CQ誌の表紙

開局から9年後のご様子。
マイクロ波測定中のお姿が1964年2月号CQ誌の表紙を飾りました。
 
 
【現在の無線室】
現在のシャック

そして2015年現在のシャックです。
往年の名機と測定機がズラリ。
特筆すべきはその外観でしょう。ここまで綺麗なラインナップはそうお見かけしません。
もちろん全て現役、メンテナンスも完璧です。
 
HRO7

それでは拝見していきましょう。
まずは米国ナショナルのHRO7。
あれっ、と思われた方は鋭い方ですネ、2つ前のCQ誌の写真の右下をご覧下さい。
その当時からお使いになられた逸品です。
ダイヤルツマミを持たせて頂きましたが、軸の感触は重すぎず軽すぎず、ガタも無く完全に調整されています。
 
コイルセット

コイルセットもこの通り。

75S-3B

51S-1

続いてコリンズ75S-3Bと51S-1
 
アンテナ設備

現在のアンテナ設備。受信用の英国製ループと144MHzの八木です。
 
 
【144MHzとの関わり】
CQ誌の連載

CQ誌に「VHFリレー講座」も執筆された新井さん。
144MHzの関わりは古いものです。
例えば1961年1月号では「144Mc用送信機の紹介」として記事を書かれています。
SCR-522セットの送信部(BC-625)を改造して50/144Mcとされました。
当時の主流バンドと言えば当然3.5や7MHz。CQを出したところで相手もいません。
「144MHz(もちろんAM波です)など誰もやる人がいなかった。」
そこで事前に相手と手紙のやりとりをして、予め交信日時を決めました。
 
ちなみに、米軍のジャンク(放出品)を苦労して改造し、その記事をCQ誌に載せると、菓子折り持参で電気屋さんが改造を頼みによく訪れたそうです。
また、記事が掲載された日の翌日のアキバのジャンク屋では、その部品の値段が上がっていました。
中には部品を持参して「この部品で記事を書いてくれ」と頼み込む電気屋さんもいらしたとか(笑)。
 
 
<貴重品 その1-JRC&コリンズのコラボレーション>
51J-4

フロントパネルの文字は日本語ですが、さて、どちら製でしょう?
正解はコリンズの51J-4です。 そして納品したのは日本無線。
なかなか贅沢なコラボレーションです。
某業務機関で使用された受信機になります。
 
<貴重品 その2 -火花式アマチュア無線機>
火花式アマチュア無線機

『ヴィンテージラジオ物語』(瀧田実著/誠文堂新光社)で<第一次世界大戦以前の無線の技術>として紹介された無線機です。
電鍵は米国ウェスタン・ユニオン社製。

ルーズカプラー

受信用のルーズカプラー。
いずれも雑誌の中でしかお目にかかった事がありません。
 
<貴重品 -その3 サーチライト式電鍵>
サーチライト式電鍵

 

要するにサーチライトの開閉と電鍵を連動させたものです。
手前に見える3本の足は地面に突き刺す為の物です。
やりとりは光のモールス符号で。もちろん軍用です。
 
 
【電車で運んだ思い出】
CQ誌の広告より

「昔はJR神田駅から須田町の交差点まで露店があって(今の靖国通り=京葉道路沿い)、それが取り締まりで厳しくなって、今の秋葉原に引っ越したんだ。
当時は全て米軍の放出。日本製の物は何も無かった」と述懐される新井さん。
「既製品など何も無かった。だから自分で作るしかなかった・・・、例えばディスコーンアンテナにしても資料が無く、米軍のアンテナを入手して研究した。」
数々の機種を自作をされた中、初めて入手した既製品は「BC-342なども欲しかったが」縁があってスーパープロ(BC-779)。
「当時、会社の近くに輸入業者の保全倉庫があって、そこの経営者の外人さんと親しくなって。それで譲ってもらった。しかも電車で持ち帰ったことが今でも信じられない(笑)」
写真はCQ誌1961年6月号、三協特殊無線の広告より。

 
【TV中継車も実は・・・】
CQ誌に執筆

1962年8月号には10GHz用スーパーヘテロダイン受信機の製作記も掲載。
マイクロウェーブなど何も資料が無い当時、アメリカのQST誌を参考に先駆的に実験行いました。
10GHzの測定器などアマチュアが容易に買える者でもなく、ジャンクで使えそうな部品を見つけて入手し、仲間と協力して校正してもらったり、材料を切り出したりと、まさにアマチュアスピリットの鑑です。 ちなみに一番良い状況の出力が22mW。 JARL会長も勤められたJA1FG梶井さんにも立ち会ってもらい、3Km以上到達の記録を達成されました。
その後、某TV局から頼まれてTVの中継車システムにも技術協力。今では当たり前となった技術にも、このような影の努力があるのです。
「商売をやろうとした訳では絶対無い。自分からは売り込んでいない、頼まれたから協力したんだ」との弁。素敵ですね。
 
賞状

昭和37年(1962年)VHFコンテスト10GHz帯では第1位。

 
 
【映像と音響の研究者】
シャックその2

お部屋その2。とにかく膨大なコレクションです。
コリンズの390Aも見えます。勿論受信は明瞭です。
 
シャックその2別角度

実は映像と音響にも造詣が深く、その道のプロの方が新井さんの元を訪ねることは日常茶飯事だそうです。
その中で、ほんの一部だけご紹介。
【バイノーラルマイク】
バイノーラルマイク

まずはバイノーラルマイク。高名な三味線のお師匠様から依頼を受けて製作しました。
人間の鼓膜の位置で録音するため、360度綺麗に音がとれます。
理髪店の練習用マネキンをもらって、その耳にマイクを仕込みました。
師匠一門の勉強会で披露したら、音を聞きながら皆の首がその方を向いたそうで(笑)、それくらい臨場感のある録音が出来るのです。
 
【ワイヤーレコーダー】
ワイヤーレコーダー

皆様ご存知ですか、昔の録音システム、ワイヤーレコーダーのワイヤーです。導線に音声を録音するシステムですね。
現在、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されている 中国新彊ウイグル自治区のウイグル人が伝承する長大な組曲形式の古典音楽「ムカーム」があります。
1950年代にこれらをワイヤー(約50 本)に収録しましたが、文化大革命時には文化的なものは否定され「破壊」の恐れがあった為、鉄ケースに入れ地中に埋めてありました。
近年これを掘り起こしデジタルにアーカイヴスし、日の目を見ることになったものです。 その復元を新井さんに依頼されたとのこと。歴史の裏面史です。
 
【鉄仮面マイク】
鉄仮面マイク

石原裕次郎もマイマイクとして使用した、通称「鉄仮面」マイク。
アメリカでは「バードケージ(鳥かご)」と呼ばれていました。
リボンマイクとダイナミックマイクの複合型です。これも綺麗な状態で使用可能です。
 
 
【アマチュアのスピリットとは】

技術畑の新井さんですが、今でも自宅の電話は黒電話。
理由は「自宅が停電でも困らないから」。理にかなっていますね。
 
新井さんの素晴らしい点は、全てのコレクションがきちんと動作する点でしょう。
「新しいこともやるけど、古いものを完璧にする。」
「古いものを今動かしたらどうなるのか。それが使えるように、そして正しく性能が発揮できるように。」
「面白いからやっている、既製品だけの時代、少しでも皆が興味を持ってくれたら・・・」
「最近は韓国や中国のハムが多いね。日本も将来、バンドの割り当てはどうなるのか・・・」
 
近所の小学校からは課外授業の講師も依頼される新井さん。明かりの授業では火打石の実演もされました。
「使ったり壊したりして、仕組みを知る楽しみを感じて欲しい・・・」
 
 
 
【インタビューを終えて】
インタビューは3時間ほどでしたが、その膨大なコレクションの前に、あっという間に時間が過ぎました。
とにかく素晴らしい点は、全て現役で稼動するということ。
扱うものはビンテージが多いですが、それは決して古いから、懐かしいから、というだけでは無いと思います。
つまりそのモノの原理は何か、原点は何かを追求された場合、歴史の軸を全て同一平面上にあると見ているのです。
そして、そこに手を入れる、アマチュアとして新しいことに挑戦していく場合、必然的に手の入れやすい機械になっていくのだと思います。
 
アマチュア無線のアマチュアとは何か。新井さんに聞いてみました。
「電波を与えられたのだから、その中で 好きに新しいことに挑戦することがアマチュアだ」



インタビュー日 2015年1月29日(弊社:高山(代表)/木村)

趣味に乾杯!
■The interview
 
JA1CCT 新井幸男氏
  
小山ハムセンター訪問記(公開終了)
 
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 ■雑誌あれこれ
 
●月刊短波 
1983年7月最終号の目次と挨拶 
 
●アマチュア無線用送信機(電波技術社/昭和36年)
目次
 
 ●魅惑の軍用無線機&軍用無線機入門 対比表
掲載型式の対比表です。


■カタログ&グッズ
 
追憶の無線機メーカー
  
ナショナルRJX-601のカタログなど 
 
杉山電機製作所 F-850カタログ 
 
アジア通信工業 R-535 パンフレット 


■コラム
 
ヤフオクに便利?IC-706、MK2、MK2Gの違い
 


■メモ
 
TS-790各送信出力の違い
FT-857の新スプリアス技適番号

 


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